創業者が会社を卒業するとき

 

井上誠二 インタビュー

――これまで、不動産業ひとすじに走ってこられましたね。

 学生時代を過ごした京都の町にほれ込み、不動産業を開業してから40年。左京区を基盤に京都、大阪、滋賀にまで店舗を展開し、一時期は社員数120名・年商48億になりました。累計のお客様は15,000人を超えます。経営者としてそれはとてもやりがいのある仕事で、平成の間、バブル崩壊を乗り越え、リーマンショックを切り抜け、事業の拡大にひたすら邁進していました。

――それが、どのようなきっかけで変わったんでしょうか。

 事業が拡大すると、企業の社会的責任が増しますよね。ここ数年で、それがどんどん重くなっているのを感じていました。新型コロナショックによって不動産需要は停滞、そこにロシアのウクライナ侵攻に端を発する世界的な原価高騰の波が押し寄せています。その中で、お客様へのサービス継続と社員の雇用維持というふたつの重圧がのしかかってきました。

 従来型の経営思想では、この事態に対処できないのではないか。何か、抜本的な手を打たないといけないのではないか。そう考えて経営会議を繰り返しました。そんな頃、2022年はじめに体調を崩したんです。

――1年でかなり、痩せられたと伺いました。

 幸い命にかかわる病気ではなく、自転車で京都市内を走り回るくらいに回復しました。しかし体調を崩して寝ている間、お客様と社員という、自分が背負っているものの大きさを痛感しました。それらへの責任をどう果たすかと考え、周囲と話し合いを繰り返して、事業を譲渡し、自分たちは会社を離れて違う形で仕事をするという結論に達しました。

――株式譲渡先はどのように決まったのですか?

 事業の引継ぎをしてくれる会社を探しました。条件は、私たちと志を同じくしていて不動産の仕事を実業としてやっている、つまり強みを活かしてもらえるところ。これまでどおりのお客様へのサービスを維持すること。そして、全社員の雇用を守ること。「お客様、社員、仕事」です。これらの条件を満たす会社を、信頼する公認会計士を通して探してもらいました。2022年10月、無事に話がまとまって株式を譲渡しました。

――そして経営陣は会社を離れて、別法人で活動することに。

 経営トップだった社長の私と常務だけは、会社を離れることにしました。別法人で、以前から考えていたことを始めようと考えたのです。法人自体は40年近く前に設立していたものですが、今回、社名を変更し、オフィスを開いて、新しいスタートを切ることにしました。

――なぜ嵯峨野の里山にオフィスを?

 実はここ数年、仕事の合間にサイクリングをしたり、有機野菜の栽培を楽しんでいました。いずれ引退したら里山暮らしをしようと思っていたのです。

 でも、ある時にひらめいたんです。「今だっていいんじゃないか。里山暮らしができるような働き方をしたらいいのだ」と。

――逆転の発想で、働き方のほうを変える。文字通り働き方改革ですね

 そうです。昭和の時代に育った私ですが、今は令和です。昭和・平成の働き方ではいけない。まず私たち自身が仕事を楽しみ、無理なく続けられるような働き方を目指そうと思ったのです。

――ブラックと揶揄されることもある不動産業界では、異色の考え方かもしれませんね。

 経営者として会社の拡大に邁進してきたこれまでの私からは想像できないかもしれません。でもこれは、今、小さな会社だからこそできることなんです。

 生活と仕事が近いということは、つまり両立できます。そうすると、生活者の実感をともなってお客様とお話できます。だから、一人一人のお客様の気持ちになって、親身に寄り添えるのではないかと思ったのです。

 コロナ禍以来、さまざまなことが変貌しています。今までの発想では解決しないこともたくさんあります。そんな中で私たちに何ができるか。里山でじっくり考えながら進んでいきたいと考えています。