「おせっかいおやじ」が人と人をつなぐ

松本一宏 インタビュー 

――会長とは20年来のお付き合いだそうですね。

会長の井上は大学のゼミの大先輩にあたります。会長は7期、僕は26期でほぼ20歳違い。僕が現役学生だった1995年にゼミのOBOG会を立ち上げることになり、僕はその事務局でした。ゼミの教授から「井上さんという人が京都で手広く不動産業をやっているから、連絡してみて」と言われて訪問したのが最初の出会いです。で、用件を切り出したら、「それはいい、なんでも協力する」と言われ、副会長をお願いすることになりました。その後、初代会長の引退にともなって会長を引き受けてもらい、現在にいたります。うちのゼミは今でもほぼ毎年例会を続けているんです。

――実は社長とも浅からぬ縁があるとか。

社長の三輪は中学高校の同窓で、僕のほうが10歳以上年上です。クラブの後輩でもあり、出会ったのは三輪がまだ中学生の頃でした。

当時僕は名古屋の鉄道会社に勤務していて、廃止が決まった地方路線を担当していました。それを母校の講師をしていた友人に話したところ、その友人から話を聞いた三輪をはじめ15人ほどの「乗り鉄」が、「廃止の前に乗せてほしい」とやってきたのです。それ以来の付き合いで、一緒に九州まで鉄道に乗りに行ったこともあります。

会長と出会って26年、社長と出会って22年ですね。

――三輪社長と井上会長の出会いを作ったのも、松本さん?

いや、それは全然違います。ある日三輪から連絡がきて「今度京都の会社に転職します」と。詳しく話を聞くと「それ、井上会長の会社やん!」と(笑)。そんな偶然があるのかと思いました。

――ドラマみたいですね。

ドラマでも「作者のご都合主義」ってSNSで炎上するレベルですよね(笑)。ふたりはきっとうまくいくと思っていたら、いつの間にか後継者になっていて。

――今回、そのチームに、松本さん自身も加わりました。以前から会長と社長からのラブコールを受けていたそうですが。

実は、数年前からオファーをもらっていました。会社に僕の世代の人間があまりいないので、一緒に会社を支えてほしいと。でも僕の方も仕事があり、また地域活動や子どものPTAなどをいろいろやっていてなかなか名古屋を離れられませんでした。いつかはと思っていたのですが、そのうちに株式譲渡のことがあり、結果的に2022年秋、新しいスタートでの合流になりました。

――ゼミやクラブのOBOG会とか、PTAとか、人間関係をとても大切にされています。でも、グループのお世話役って面倒なことも多いと思うのですが。

基本、寂しがり屋なんです。自分のことは、いい意味でも悪い意味でも「いらんことしいの、おせっかいおやじ」だと思っています。「いらんことしい」は、関西弁で「やらなくてもいいこと(=いらんこと)にあえて手を出す」みたいな意味ですが、その「いらんこと」から生まれる人間関係って、いいものなんですよ。

一期一会って言いますよね。せっかく出会った関係が、それだけで終わってはもったいない。続けたい。で、そう思った以上は、続けるために自分が動こうと思って、「いらんこと」をしています。

――地域のコミュニティにもかかわってきましたか?

自治会の役員もしました。「胸をはって帰ってこられる、いいふるさとにしよう」を合言葉に、団地ではなかなかできにくい住民の横のつながりをつくろうと思って、バーベキューツアーを企画したりしました。「ぶらぶら祭」と銘打って地区の有志宅をギャラリーや陶磁器の絵付け体験、囲碁などの場所として開放して、ぶらぶら街歩きを楽しむイベントも実施しています。

地域の仲間から請われて子どもたちが通っていた地元の小学校のPTA役員になり、会長もやりました。ちょうど新型コロナの流行と重なった時期で、消毒や見守り活動などを手探りで続けました。コロナ禍のなかでも何とか子どもたちに思い出作りをさせてやりたくて、運動会も学芸会も、学校や子どもたちと相談しながらやっていきました。

いま、地域の子ども会はどんどん消えていっています。そのなかで、どうやって地域で子どもたちを守り育てていくか。それは、地域の大人たちの力の見せどころだと思うんです。

――妙案はありますか?

わかりません。でも、基本は「協力して知恵を出し合ってやれる範囲のことをやっていこう」だと考えています。大変そうだから最初からやらないではなく、やれることをやる。みんながちょっとずつ「いらんことしい」になったら、地域のつながりが育っていくのではないかと。

――地域のつながり、それは彩里が掲げていることばでもありますね。

そうです。これが、僕が今このタイミングで彩里に合流した意義だと思っています。この会社だからできることがある。不動産業に関してはまだ勉強することばかりですが、コミュニティづくりならば、これまでの経験を活かすことができます。

――単身赴任中なのですよね。

子どもの学校の区切りまで転校させないことにしているので、家族はまだむこうにいます。お互いに行き来したり、一緒に甲子園球場に阪神の応援に行ったりしています。

地域の活動は、一緒にずっとやってきた妻が続けてくれています。僕も時々オンラインの会議に入ったりして、できる手伝いをしています。10月のイベントには帰宅して参加しました。

先日、この里山オフィスにやって来た中学生の長女に、「前よりずっといい顔になってる」と言われました。大きな会社の歯車として忙しく働いていた時の僕の顔を、覚えていたんですね。なかなか鋭いことを言うなあと驚きました。

――ご家族の応援、力になりますね。

はい。僕にとっては40代最後の挑戦です。家族のためにも、自分らしく働ける場と出会えてよかったと思っています。彩里は、60代、40代、30代という、世代バラバラな3人のコミュニティからのスタート。これって、なかなか面白い挑戦だと思いませんか?