2022年秋、京都郊外・広沢池にほど近い美しい里山で、株式会社彩里がスタートしました。
「半農半X」を掲げ、畑で野菜作りを楽しみながら仕事も充実させるという、新しい不動産業のあり方を探り続けた2年。
幸いお客様にも恵まれ、また、強力なブレーンとの連携もスムーズにはこび、多くの方のお手伝いをすることができました。相続にかかわる不動産や権利関係がこじれた案件など、一般の不動産業者が二の足を踏むような複雑なケースもありましたが、そういう案件こそが私たちの腕の見せどころだと逆にやる気スイッチが入り、長年の経験とブレーンからのアドバイスを得て問題解決につなげることができました。これは私たち彩里だからできたことだと、ひそかに自負しています。
四季の移り変わりとともに過ごした彩り豊かな里山オフィスの日々を、彩里の三人が振り返りました。
――1年半が過ぎ、二度目の春を迎えました。「半農半X」うまくいっていますか。
三輪 業績のほうは、まずまず順調と言えると思います。もちろんゼロからのスタートでしたので最初はちょっと大変でしたが、ご紹介のお客様を中心に取り扱い物件も増えてきています。毎月の業績にはもちろんばらつきがありますが、年間ベースでは安定軌道に入ったと言っていいんじゃないでしょうか。お客様や関係者との信頼関係がしっかりできてきたなと感じることが多いです。
井上 ちょっとした不動産会社の支店くらいの業績をあげられているんじゃないかな。好きな仕事を自分のペースでやっていたら、結果がついてきたという感じです。
三輪 込み入った案件では解決までに数か月かかることも多いですから、毎月の業績にはもちろんばらつきが生じますが、まあ、年間ベースでは安定軌道に入ったかなと。
井上 権利関係が複雑などのデリケートな案件を相談されるのは、ご紹介が多いわが社ならではで、ありがたいことでもあります。
三輪 詳細は話せませんが、敷地にちょっと問題があって何十年も放置された案件がありました。古家は荒れ放題、市街地の真ん中にもかかわらず野生動物が住み着いて近所の方も困っていらっしゃいました。相続人たちはみんな疎遠で、かかわりあいになりたくないと。そこで私たちがご近所の方とも話し合い、相続問題を整理し、境界を確定した上で隣接地の方に買っていただきました。
松本 正直、最初の現地調査の時にはどうなることかと思いましたよね。
三輪 それによって敷地の問題は解決、隣地の方も自分の家の庭越しに草ぼうぼうの廃屋を眺めることもなくなり、お庭が広くなりました。
松本 活用されていない不動産をよみがえらせるというのはこういうことだなと。私たちの仕事の価値はここにあると思いました。
井上 まあでも、こういうケースは正直儲かりません(笑)。
三輪 (苦笑)そうですねえ。わが社に入るのは不動産仲介手数料だけですからね。でも、儲からないけれども世の中の役にたっているという実感はありますね。
井上 ま、それが人間らしい経営を目指す、彩里らしいところでしょう。
――そういう考え方が、これまでとの大きな違いなのでしょうか
井上 会社を経営していると、売り上げというものはいくらあっても満足できません。夢に売り上げのことが出てきてうなされることもありました。そういう悪夢からは解放されました。とはいえ今は、その緊張感は、社長の三輪がかぶってくれているわけでもありますが。
三輪 それはまあそうです。でも僕自身も、会社をどう守るか、言い換えれば経費をどうやって稼ぐかということを考えるということが、企業経営の目線だと思っていました。でも今は、自分たちが食べる分だけを稼げばいい。その分、お客様としっかり話すことができているなと感じます。
井上 所帯が小さいというのは、動きが軽いということです。以前なら何曜日の何時と予定を決めて会議室に集まっていたのが、今は「アレ、どうなってたっけ?」「じゃあこうしようか」と、ミーティングも簡単です。
松本 僕は以前は大きな組織の一員でしたから、社内調整ばかりに時間をとられていたような気がします。今は、オフィスで顔を合わせるだけですから、話が速いです。
――あえて訊きますが、課題だと感じていることはありますか?
三輪 あえて言えば「井上ブランド」の大きさでしょうか。
松本 それは僕も、何度も実感しました。僕はまだ不動産営業マンとしては駆け出しですから、「彩里の松本」には全く知名度がありません。ところがアポをとって、会長と一緒に先方に出向くと「エッ! 井上さん?」となって、商談がスムーズに進むということもしばしばでした。
井上 京都で40年近くやってきましたから、私、それなりに人脈があります。当たり前のことですなあ。
三輪 正直なところ現状は、会長のご縁からのご紹介が多いです。「井上誠二」という経営資源への依存が大きすぎるのか、課題と言えば課題かもしれません。
井上 まあでも、5年後10年後に向かって、井上紹介の比率を少しずつ下げて行ったらいいわけで。そのために、社長はいま人脈を広げようと頑張っています。
三輪 会長が長年かかわってきた京都中小企業家同友会でも、青年部会幹事長を拝命しています。経営者としてのありかたを学ぶ貴重な場で、様々な人と意見を交わすことによって自分の現在地を知ることができます。僕はもともと知らないところに行ったり、新しいことをはじめるのが好きなんです。その意味では、事業承継を意識した学びというのは、仕事でもあり、趣味でもあります。ただ、夜に出ることが多いので、家族との時間が削られてしまうのが悩みどころですが。
松本 子どもの学校のPTAともかかわっていますよね。
三輪 はい。小学校のPTAもやっています。これは、コロナ禍にPTA会長として奮闘した経験を持つ松本さんが、「絶対やっといたほうがええから」と。
松本 PTA活動で地域に関わったことは、僕の大きな財産になっていますから。
井上 「五縁」と言いますよね。血縁、地縁、学縁、社縁、趣縁。ほかにも、PTA縁とか同友会縁もありますね。あとは、松本さんの「トラ縁」か。
三輪 それもありました!
松本 僕は阪神タイガースファンで応援団の仲間がたくさんいます。特に関西では、仕事先で出会った方が阪神ファンで、仲良くなれることも多いです。
――代表のふたりを支える第3の男、松本さんにとって、彩里の2年はいかがでしたか。
松本 転職して彩里に来て、はじめての不動産業界で、正直何もわからないまま過ぎました。見よう見まねで二人に必死についていっています。今でも不安です。
井上 でも、ぼちぼち査定書も任せられるようになってきたし。
松本 先日、作った査定書を恐る恐る会長に見せたら「ええやんか、これお客さんのところに持っていくわ」と一発OKが出ました。嬉しかったですねえ。
三輪 担当物件も増えてきています。
松本 そういえば、去年の今頃にはじめて担当したのが、物件探しでした。ご希望のエリアをひたすら歩いて、物件を洗い出して提案、担当している不動産会社と交渉しました。会長に同行してもらって交渉もスムーズに進み、無事に土地の契約にこぎつけました。お客様はそこに注文住宅を建設されたんですが、それがまもなく完成です。ゼロから土地と出会い、そこに住宅ができあがっていく過程を1年間かけて見られた。これは忘れがたい経験になると思います。
三輪 次は売却ですね。
松本 はい、今までお住まいだった住宅を売却するという大仕事が残っています。頑張ります。
井上 宅地建物取引士資格試験、合格してよかったなあ。
松本 会長と社長からのプレッシャーはハンパなかったですねえ(笑)
井上 50の手習いだから。
松本 しんどかったですよ。でも、いいこともあったんです。娘がちょうど高校受験だったので、やればできるという「父の背中」を見せることができました。一緒に頑張ろうやと。受かってようやく仕事のフィールドに立てたという感じですかね。これからです。
井上 そういえば社長も建築士を目指すんだっけ。
三輪 それは長期計画です。
――いずれは建築業にも進出?
三輪 今のところ考えていないです。建築の勉強をしたいのは、中古住宅を扱う上で、より安心な既存住宅を提供できるようになるため。つまり、自分自身が物件を見定められる目を持ちたいんです。人口が減って住宅が余って、空き家も増えている。一方で、京都は不動産価格が高騰しています。そこでますます中古住宅市場を活性化させることが急務だと考えていますので。
――ところで、この畑のある里山オフィスで、みなさんどのように過ごしているのですか
井上 目指すは「半農半X」ですから、半分しか仕事してませんなあ(笑) というのは冗談ですが、今は早朝に起きて読書、出勤して朝は畑。昼間は仕事、夕方からまた畑に出て、そのあとは音楽を聴いたり、自転車に乗ったり、ゴルフの練習をしたりしています。中古レコードをセットで買い込んだんですが、まだ半分くらいしか聴けていません。暮れていく里山の風景を眺めながら、畑でとれた野菜をつまみに好きな酒を傾けながら聞くジャズやブルース、いいもんですよ。
松本 日中と夕方では会長の表情が変わりますよね。商談にいらしたお客様とそのまま「ちょっと一杯」になることも。
三輪 お客様だけでなくいろんな人が寄ってきてくれますね。
井上 ブレーンの皆さんや関係している団体の仲間を招いてバーベキューをすることもあります。
松本 一緒に畑をやりたいという仲間も少しずつ増えていますね。
井上 松本さんのトラ仲間が、今では畑の重要な戦力になってくれて。
松本 阪神ファンの親しい仲間のひとりに声をかけたら、ぜひ畑をやりたいと。今では夫婦で毎週のようにやってきて耕しています。そろそろ夏野菜シーズンです。ほかにも、僕の同級生や学生の若い子など、定期的に通う仲間が増えてきています。で、みんなすぐに会長とも仲良くなる。
井上 次々に仲間ができて。ここで野菜をとって、おいしい酒を飲んで…。
三輪 カラオケ大会に (笑)
松本 家族がオフィスに遊びに来た時に、会長が一緒になってカラオケで盛り上がっていたので、中学生の娘がビックリしていました。僕は単身赴任なので、離れて暮らしている父親がこんな人と仕事をしているんだと知って、子どもたちも安心したんじゃないでしょうか。
彩里という場を仲立ちにして、本来交わるはずのなかった人が交わることができる、自分がそこにかかわれるっていうのは、嬉しいことですよね。
三輪 将来は貸農園なんかもできたらいいなと思いますね。
――将来のお話が出たところで、3年目を迎える彩里がこれから目指すのはどこでしょう。
井上 会社をやみくもに大きくしたいという気持ちはありません。ただ、将来的には10人くらいの規模にできたらいいなと思います。今は数人でやっている、いわば家業という感じですが、やはりお客様に信頼してもらうためには家業ではなく、「中小企業」くらいにはなりたい。その目安になるのが10人くらいかなと思っています。
一方で、私も6月で71歳になりましたから事業承継を進めて、いずれは離れていこうと思っています。今は三輪と私の二人代表体制ですが、三輪のほうに大きくシフトしていきます。長い間お世話になった同友会も三輪が後継をつとめてくれていますし、各種団体の役員など公的な立場からは退きつつあります。
三輪 僕は、経営=会社を大きくすること、利益を上げること、ではないと思うんです。何のために仕事をするかというと、結局、関わる人に住宅を通して喜んでもらいたいということ。お客様、会社に関わるリフォーム会社などの人、そして家族の「三方良し」が理想でしょう。それがきちんとできれば住宅の利活用が進み、地域に貢献することにつながっていきますから。
松本 僕はまだまだ「不動産業が面白い」と楽しむ余裕がないのですが、会長と社長に「いらんわ」と言われないように頑張るだけですね。個人的には、PTA会長をつとめた小学校が今年150周年になり、記念イベントを企画しています。単身赴任はまだ続きますが、こういう形で家族や、家族の住む土地に関わることができますから、2拠点暮らしは正直しんどいですが、頑張ろうと思えます。それと、やっぱり勝っても負けても阪神タイガース。阪神が結び付けてくれたご縁が彩里でも育っているわけですから、それを大切に、連覇を目指したいところです。
井上 せっかく毎日畑に出て育てているんだから、その野菜を使って何かしないともったいないなあ。今でもお客様にお届けしたり、持って帰ってもらったりしていますが、生産者としてきちんと売れるものをつくりたい。もっといろんな種類の野菜も育ててみたいし、いずれは鶏なども飼ってみたい。実は鶏用の場所はすでに用意してあるので、これからですね。
三輪 自分たちで野菜をつくりたいというのはもちろんですが、実は畑からの視点というのは、彩里にとってとても重要なことではないかと思うんです。
京都近郊でも耕作放棄地が増えています。彩里がそういう土地の担い手になれないかと考えています。耕す人がいなくなった畑を引き受けてかわりに耕し、そこから価値を生み出す。近い場所の畑ならうちの人員で対応できますが、仮に遠隔地であっても、やり方次第では可能ではないかと。そんなことを考えながら、先日、丹後地方まで家族旅行を兼ねて物件確認に行きました。立派な畑でね、これを何とか未来に残さないといけないと感じました。
いま日本の農業は高齢化が進み、遠からず担い手がいなくなることが心配されています。そういう課題を今までにない発想で解決していくのも、『半農半不動産業』の我々の役割なのではないかと思っています。
――ありがとうございました。3年目に向かう彩里のこれからを楽しみにしています。
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